初代理事長の思いを受け継ぐ教職員と保護者の皆様の多大なご協力によって育てられた子どもたちは、平成30年度には、6,000名を越えました。
初代理事長は体育教師でしたので、子どもたちの体力を育てることを第一に考えていました。そのため開園当初から幼児体育専門の講師と連携し、子どもの発達に配慮しながらその運動能力を伸ばすだけでなく、体を動かす楽しさ・喜びを味わえるようなプログラムを考え指導してきました。また、体育指導を通して、協調性や最後まであきらめずにやり抜く心も育てています。
例えば、高低差や起伏のある場所をつくることで、遊ぶうちに自然に体幹が育ちます。ドングリや食べられる木の実、花壇や畑を作ることで旬の食べ物がわかったり、虫が来て命の不思議を感じたり、遊びにそれらを取り込もうとします。水・砂・土・泥・植物・生き物などの環境に自ら働きかけることで、興味・関心・好奇心・探究心・試行錯誤を育みます。また既存の遊具は、他園には無いスケールとデザイン、ダイナミックに遊べる要素を兼ね備えています。特に高さ2m40cmと3mの二つのクライミングウォールは子どもたちのチャレンジする意思とあきらめない意欲を育てます。誰でも遊べる遊具だけでなく、ちょっと難易度が高い遊具を設置することで、子どもの危険回避能力と身体をバランス良く発達させる力を育てるねらいも持っています。それ以外にもログハウスのある第2園庭・みどりの広場、園の畑、2つの姉妹園の庭、病院の森、点在する公園など豊かな環境を活用し、様々な体験・経験を通して健康な体と心を育んでいきます。
かわいいお子様にできるだけケガをさせたくない。それは、親心であり、私たちも同じ思いです。しかし、同時に「ケガは子どもの権利」だと私たちは考えます。上記にあるように、園の設備には万全の配慮をし、過去のケガの事例を教職員全員で検討し、常に改善を図っています。しかし、それでも小さなケガは日常です。私たちは考えました。どこまで改善すればよいのでしょうか?どこまでやれば子どもたちはケガをしなくなるのでしょうか?園だけが安全でも一歩外に出れば危険がいっぱいなのではないでしょうか?安全な保育とは、子どもを危険から遠ざけることではありません。子どもにとって一番危険なのは、「体験が無くて自分が置かれている危なさを知らないこと」です。「自分で自分の身を守る力=危機回避能力」を遊びの中で育てることは、子ども時代に必要な体験だと考えます。子どもは自分の力に応じて、小さな危険を経験することで、自らを守る感覚や力を養い、やがてそれは大きな事故やケガを防ぐ力になります。私たち大人は、子どもたちの前に落ちている小石を、子どもがつまずく前に一生拾い続けることはできません。であれば、つまずかない様に気を付けて歩く知恵や工夫を養い、つまずいても(失敗しても)自分の力で立ち上がる力を養うことが教育であると考えています。
幼稚園は、人生で初めて出会う“社会”“子どもたちの世界”です。その中で芽生える様々な感情、泣いたり、笑ったり、怒ったり、うれしくなったり...。自分の思いを相手に伝えるため、子どもは言葉や体を使って表現する方法や社会性を、友だちや教師との関わりの中で学んでいます。そして、お互いの思いを受け止め、共感する、反発する、折り合いをつけることができるようになり、コミュニケーション能力を高めながら、仲間との絆を深めていきます。私たちは、子どもの思いを読み取りながら、「時には寄り添いながら一緒に考え、時には離れて見守る保育」を心がけています。
「あなたがいてくれて本当にうれしい」、「生まれてくれてありがとう」、「あなたが大好きだよ」。そんな思いを言葉で伝えていますか。赤ちゃんの頃からそう言われて育った子どもは、「自分はかけがえのない大切な存在」「愛されている存在」なんだと実感するようになります。逆に否定的な言葉を繰り返しかけられると「自分はダメな存在なんだ」「必要とされていないんだ」と自分を否定的にとらえ、自分だけでなく他者を信じることができなくなります。自分という存在にかけがえのない価値があると自覚することを[自己肯定感]と言います。そして自分が大切にされていると感じる子どもは、「自信」「困難を乗り越える力」「自分を励ます力」「思いやり」「やさしさ」などを持てるようになります。生きる力の根っこは、温かい関わりと言葉、認められる経験を乳幼児期にどれだけ積んだかということであり、それが今後の人生に大きな影響を及ぼす重要なファクターの一つであると考えています。
まず私たち大人が受け入れなければいけないことは、まだまだ出来ないことが多いのは当たり前、個人差も当然あるということです。「できる」ということだけを重視すると、その過程でゆっくり進む子や、なかなかできない子は評価されにくい。私たち大人がそのことを否定的にとらえると、子どもはそれを感じ取り、自分でやろうという意欲を失うばかりか、そのことを嫌いになり自ら進んで取り組もうとしなくなります。何でもできる子と同じようになるために、できない子はものすごく努力をしなければならない。私たちはその努力を、苦労を、頑張りを認めていきたい。何かができるようになるには、子ども自身が選び取り、大人ができるだけ手を出さずに長い目で見守ることが重要です。出来ないことに一喜一憂するのではなく、長い目で子どもの育ちを見守っていきたいと考えます。
また、出来ないことが出来るようになるには、出来ることを認め伸ばし、認められる喜びを経験させることで、苦手なものにもチャレンジしようという意欲を芽生えさせることも大切です。私たちは、子どもが本来持っている力を引き出し、長所や短所を含めてありのままの自分を好きになれるよう「認めて伸ばす保育」を心がけています。
私たち大人が子どもの感性や意欲を育てる時、どのように関わったら良いのでしょうか。ある時出会った本に、幼児期の子どもの内面を育てるためのヒントが、わかりやすい美しい言葉で書いてあったので紹介します。本の名前は、「センス・オブ・ワンダー」。著者はアメリカの海洋生物学者、レイチェル・カーソンさんです。著者が幼い子どもと一緒に自然を探索した体験をもとに書かれたエッセイで、子どもたちと自然の中に出かけ、神秘さや不思議さに目をみはる感性を育み、分かち合うことの大切さを伝えています。
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(※本文より一部抜粋)
もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。
「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます。消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうがどんなにたいせつであるかわかりません。
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子どもは「ああ、楽しかった!」という経験をした時、「またやりたい!もっとやりたい!」という意欲につながります。楽しさは、子どもが自ら考え、チャレンジする原動力になるのです。
子どもたちは遊びや生活の中で、失敗したり、つまずいたり、試行錯誤を繰り返しながら、そのプロセスを楽しみ取り組みます。誰にでも得手不得手があるので、「できた、できない」「早い、遅い」などの結果ではなく、子どもが自分で考える・試す。その過程・プロセスの中に学びがあると考えます。